働く場所は固定化しない。固定概念を全てはずして、自分が一番力が発揮できる環境に身を置く。サラリーマン23年、経営者14年の年月を経て、今僕がもつ結論です。
どういうプロセスを経て現在に至るのか?そしてこれからどうしていきたいのか?その遍歴を振り返ってまとめてみました。柔軟に働く環境づくりのヒントになれば幸いです。
大手企業で箱に通う|22歳~44歳
サラリーマンは随分長い間経験しました。某大手電機メーカーの販売子会社に勤めました。その間の勤務地は大阪、神戸、東京、横浜と変わりました。横浜のときは片道2時間以上かけて通っていましたね。
共通するのは満員電車で通勤、決められた時間に決められた場所に出勤するという従来型の形態でした。それをやっているときは特に疑問に感じませんでした。というか当たり前だと思っていました。
でもいったんその環境から外に出ると、そうではないことがわかりました。どれだけむだなことをしていたのかがわかりました。
この間は時間でいうと一番長いのですが、もっとも変化のない環境だったと言えます。ひと言でいうと「箱」の中を行ったり来たりしていた視野の狭い世界です。
ベンチャー創業、ターミナル駅近の高層ビル|45歳
40代半ばでベンチャーに転職しました。できたばかりの会社。某R社の面々が役員で名前を連ねる華々しいイメージ。
オフィスも品川駅と直結する高層ビルの中にありました。初めて面接に行ったときは「こんな格好いいところで仕事できるんだ・・・」とうれしく感じたのを思い出します。
その後、会社に入って待っていたのは、早朝から深夜までのハードワーク。オフィス環境が良いとか、そんなことを言っている場合ではなくなりました。
営業で出向いて夜遅くにビルに戻ってきて終電ぎりぎりまでデスクワーク。そんな毎日でした。立ち上がったばかりのベンチャーなので当たり前と言えば当たり前ですね。
建物はきれいなのですが、やっていることはきれいごとでは済まされない。そんな感覚を味わいました。
その会社はリーマンショックの煽りも受け、わずか3ヶ月で倒産。見た目の良さだけで成り立つほど会社経営はやさしいものではないことを知りました。
独立直後は自宅が事務所|46歳
ベンチャー倒産後、失業期間を経て、従業員が30人ほどの小さな会社に移りました。オフィスは東京中心から少し離れた郊外のビルの一角に社員、社長は別ビルにいるという感じでした。
こうしてサラリーマン23年を経て46歳で独立。独立当初はお金がないのでとりあえず自宅を事務所にしました。
といっても対外的に出したわけではなく実質そうなっていたという感じです。ネットを介してリビングでお客さまとやりとりするといった日々を送ったのを記憶します。
住所レンタル・バーチャルオフィス|47~48歳
独立して数ヶ月。このまま自宅ではよくないと思い、住所レンタルと郵送物転送をしてくれるサービスを申し込みました。月額数千円だったと思います。
お客さまとの面談は都心のカフェを利用。なかでもルノアールに入り浸り、日によっては朝から夜までいたこともあります。かなりの数をこなしていました。
「よくあんなところでプライベート的な話をしていたなあ・・・」思い返せば驚くような光景です。
シェアオフィス|49歳
プライベートな会話を外でやるのはどうかと個別相談ができる部屋がついたシェアオフィスを借りました。一つ目が東京駅八重洲口近くにある所、次に借りたのが銀座でした。
面談予約が入ると1時間あたり1000円という感じで小さな会議室を予約します。中心部で会議室を借りるとそれなりの価格です。月額使用料を払うことで会議室が格安で借りられるのがメリットでした。
住所が日本橋や銀座といった場所になることもステータスに思えていました。ちょうどその頃法人化し、シェアオフィスの住所を使って登記したりもしました。
都心のワンルームマンション|50歳
独立して3年目あたりまでずっと借り物で仕事をしてきました。「ここらで自分の事務所が持ちたいなあ」と思うようになりました。そこで自宅から一番近いターミナル、池袋で物件を探しました。
テナント的なところも見ましたが家賃が10万円をゆうに超えるものばかり。これでは手が出ないのでワンルームマンションを探しました。いろいろと探した結果、駅から徒歩10分圏内にある場所に決めました。
ドアに会社名をシールで貼り出し事務所らしくしました。初めて自分の城が持てた!あのうれしい感覚は今でも覚えています。
ひと通りの什器を揃えました。会議室を予約する手間がなくなりました。誰にも気兼ねすることなく自由にお客さまを迎え入れられるようになりました。事業もそれなりに安定軌道に乗ってきていました。
2Kのマンション|51~53歳
ワンルームで1年強仕事をすると、だんだんと手狭感が出るようになってきました。業務委託で人を雇うようにもなり、もう少し広い場所に移ることはできないかと思案しました。
池袋が拠点として定着していたので、近隣で物件をあたりました。でもワンルームを超えるとそれなりに家賃がアップします。駅からのアクセスを加味しながら、隣駅の東池袋至近のマンションの一室を見つけました。
間取りは2K。二つ部屋かあることで、セミナーと個別相談を同時開催したり、少し人数を増やしたセミナーが事務所でできるようになりました。業務委託する人の数も増え、事務所を出入りする人の数も過去一番でした。
小さいながらも組織立った動きをしていた段階で2Kマンションの事務所までが事業を大きくするステップにいたと振り返ります。
郊外のマンション|54歳
2Kマンションでの事業運営はそれなりの規模で順調に推移していました。一方で組織を運営するという窮屈さを感じるようにもなりました。
複数のスタッフがいることで規模は拡大します。でもその分、物事を決めるときにはスタッフと相談しないといけません。自分がやりたいことを即断即決という感じはなくなっていました。
「自分はこれからこの仕事でどうありたいのか?もともと何がしたかったのか?」を考えるようになりました。
一方で、「何で会社員を辞めたのに満員電車に乗って通勤をしているんだろう?」と都心に電車に乗って移動することに疑問を感じるようになりました。
さらに家賃や光熱費という固定費にも目を向けるようになりました。コストは確実に収益を圧迫します。
こうした考えのもと、通勤が苦にならない範囲、できたら自転車でも行けるような距離で、少しコストダウンできる場所へ移ることにしました。
スペースと家賃は少しコンパクトになりました。自分が使うというより、スタッフに任せるという感じでの使い方が主流になりました。
山のログハウスと自宅の二拠点|55~57歳
起業支援を中心としたコンサルティングとコミュニティ運営が最大期になると同時に、一方で少しずつ地盤固めをしてきた焚き火コミュニケーション事業を軌道に乗せる段階になってきました。
それまでの数年間はキャンプ場へ出向いてイベント開催をしたりしていました。そうすると時間や場所に制約が出ます。装備を持参するのにも体力が要ります。
とにかく自分が思ったようにできないのがストレスでした。「自分が考えることが好きなように自由にできる場所がほしい」いつの日からか思うようになりました。
思い始めてから2年ほど、場所探しに奔放しました。その結果、行き着いたのが山の上のログハウスとフィールドでした。
山に入ると普通の仕事ができなくなる・・・それが唯一の不安でした。でもその不安は一瞬のうちに吹き飛びました。
その要がネット環境です。メールとSNSがあれば業務は進行します。お客さまや取引先とはオンラインツールで自在につながってやりとりできます。
営業活動のメインはWEBサイトです。しっかり情報発信、蓄積することでビジネスは動きます。新型コロナ禍が後押しになりました。数年前よりオンラインを導入していた仕事は一気に加速、普及していきました。
月に何度かオファーのある講師業があるときは町の自宅に戻って出張する。はたまた山の拠点でオンライン講演をするといったことも行っていました。
こうした環境をふまえ、当時は山7割、町3割という割合で身を置きます。山にいるときは宿泊施設のメンテや薪づくりなど山仕事をします。
その傍らオンラインでコミュニティ運営をし、パソコン仕事をしています。この行ったり来たりがちょうどいいメリハリになっていました。
仕事は場所や時間を選ばない。まさにからだにしみ込んできたという感じです。もうオフィスの箱の中で仕事をする環境には戻れなくなりました。
こうして4年、ログハウスの拠点で一定の成果を出すには至りました。でもそもそも本当にしたいことではありませんでした。本当にやりたいことができる場所、森の中。次のステージへ向けて動き出します。
小さな自分の森の拠点づくり|58歳~
周囲に気兼ねすることなく、自由にプライベートで焚き火ができる場所。静かに自分と向き合え、適度な距離感で人とつながれる。安心安全な心の拠り所になるような居場所。
自然の中でそんな環境をつくりたい。ずっと自分の中にあった想いです。自分が思い描く場所を具体化するには、イチから森を開拓していく道しかない。
フィールドを求めて約1年半、あちこち探し続けてきました。そしてやっとたどり着いた先は信州小諸。2022年4月から森の開拓がスタートします。
都内近郊の自宅から小諸の森に通う暮らしが始まりました。手付かずの山林を開拓、整備するところから。重機を使わず自分たちの手で。
もちろん、水道を引き込むといった特殊な工事は業者さんへ依頼。
同時に自分たちの住処であり、仕事の拠点となる小さな家を建てていきます。何となくのながれで在来工法、セルフビルド。
「人生初」の連続にその世界にどっぷりはまり込んでいきました。
日々森を身近に感じながら仕事をしていくことで、環境の重要性をひしひしと体感しています。
人が自然の中に身を置くことの大切さ、その本当の意味とは。開拓作業を通じて「生きる実感」を得ています。
この感覚を一人でも多くの人に伝えていきたい。そんな想いにかられ、当面は人が来てもらえるフィールドづくりに奔放する毎日です。
そしてこれから・・・|?歳
いろんな働き方をして2024年に還暦を迎えました。事務所らしい事務所も持たず、森の拠点にオンラインとリアルで仕事をまわしています。
この先、人生どうなるかわからないし、何が最適なのかの答えもありません。やりながら考え行動していきます。
ただ一つ言えるのは、今その時点でベストと思える選択をすること。前例や既成概念にとらわれないこと。本質から物事を考え、行動していくことに置いています。
こだわりを持つ人間の本質、本能という視点に立つ上で、自然の中に身を置くことは外せない要件になるでしょう。
ワクワクは何なのか?自分の熱量はどこへ向いているのか?自分の心の声に素直になる。シンプルな考えで突き進んでいきたいと思っています。
まとめ
こうしてこれまでを振り返って気づいたことがあります。それはその時その時でベストの選択をしてきたのではないかということ。
その時点ではちょっと無謀だとか余計なコストをかけたとか思ったこともありました。でもそうではなかったと。働く場所を二転三転させながら経験してきたからこそ見えた世界があります。
事業形態、仕事の内容によって働く場所は変化します。時代のながれを感じながら、固定化することなく、つど見直しをかけていくのがいい。もちろん、こうしないといけないというものではありません。
仕事とはたのしくするものです。そのために、アイデアがどんどん湧き出し、生産性が上がる環境であること。そのためには自分が心地よい場所にいることを最優先にしたくなった。
それもこれもこれまでの30年強でいろんな環境で働くことを経験してきた結果の今があるから。
世の中では生産性向上という言葉がよく飛び交います。この生産性という意味を理解している人はどのくらいいるのでしょう?労働生産性とは、労働者一人あたりが生み出す成果の指標です。
つまりどれだけ個人がもつ個性の力が発揮できるかということです。それが引き出せる環境づくりがもっとも大切なのです。
「働き方が多様化した」「会社がサテライトオフィスを導入した」「リモートワークがしたい」「二拠点居住をしていくには」「ワーケーションで働き方を変えよう」などと取り沙汰されます。
でも本質はそこではありません。
自分がもっとも力が出せること、関わるメンバー一人ひとりのパフォーマンスがベストになる環境づくりをするのが目的です。リモートワークや二拠点生活は手段でしかありません。
目的と手段の取り違えをしないように注意してください。環境が人をつくっていきます。ベースは自分がどういう生き方をしていきたいかにあります。