町と森を行き来するライフスタイル「通い森暮らし」。前回は「森を整える」とはどんなことが起こるのかという話題でした。
今回は、そんな森の整えが自然に自分にも跳ね返ってくるというお話。言葉で伝えるのは難しいけど、実はここを知ってもらってはじめて森の暮らしの魅力がわかるというもの。
できるだけ具体的な事例を交えて書いてみました。
都会にいながらにして、森の暮らしをはじめていきたい・・・漠然と思い始めた人のお役に立てばうれしいです。
「何もしない時間」から「ただそこにいる時間」へ

「こんなに静かだと、逆に落ち着かないもんだな……」
森に通い始めたばかりの頃、ふとそう思ったのを覚えています。聞こえるのは風の音と、どこか遠くの鳥の声だけ。
車の音も、人の話し声も、スマホの通知もない。
最初はその無音の世界にいつもと違う感じを受けていました。でも通い続けるうちにだんだんとわかってきたことがあります。
静けさって、ただ音がないってことじゃない。その中に、たくさんの気づきがあるんだってことに。
「何もしない時間」ではなく、「ただそこにいる時間」へ。うまく言えませんがそんな感覚になっていきました。
「効率」を手放して「感受性」を育てる暮らしへ

森の中での時間は、町の時間とはまるで違います。効率や正解を求めても、うまくいかないことばかり。
草を刈れば、すぐにまた生えてくるし、天気は急に変わるし、虫も土もこっちの都合では動いてくれません。
でもその不確かさの中に、「今、目の前のことだけを大事にする」っていう感覚が宿ってくる。
ただの風が「涼しさを呼ぶ音」に、鳥のさえずりが「朝の合図」に変わっていく。
いつからか、風の強さや湿度で「今日は空気が重いな」と感じたり、葉のそよぐ音の違いで「季節が少し動いた感じ」と気づいたりするようになりました。
森と少しずつ会話ができるようになってきたというとかっこ良すぎですが(汗)、明らか五感が立っているのがわかります。
五感が研ぎ澄まされる「つくる時間」

「ここを風が抜けていってるんだ・・・」森の手仕事中にふと気づいた風の通り道。そんなこと、今まで気にも止めなかったのに、森にいると気づいてしまう。
焚き火だとわかりやすいですよね。
パチパチと木枝が爆ぜる音に何度癒されたかわかりません。その音を聴いているだけで、なぜか心が静まり、アイデアがふっと浮かんできたりもする。
家の柱を丸のこで切る音、壁材を留める玄翁の音、木を伐採したとき倒れていく音、根っこと格闘して土を三輪車で運ぶ音・・・
全部、森の中ではっきりと聴こえる自分の暮らしの音たちです。
目の前の作業に没頭していると、自然と余計な雑念が消えて、ただ「今ここ」にいる感覚が戻ってきます。
森がくれる「心の声」

ある日、木を丸太にしている作業の途中にふと立ち止まったときのこと。風がふっと頬を撫でていって、そのとき「ああ、最近ちょっと無理してたかもな・・・」と気づいたことがありました。
森の気配って、自分の内側のザワつきにも気づかせてくれるんですね。
街の中にいると、自分の声すら聴こえなくなることがある。でも、森の中では逆に、自分の本音がよく響いてくる。
「今、自分は何を感じているのか」「本当は、何がしたかったのか」「これからどうありたいのか」
そんなシンプルな問いを自分に投げかける時間が増えていきました。
森時間に「心を整えてもらう」感覚

当初は「もっと広くて木々が美しいフィールドがほしい」という想いでスタートしました。やり始めるとこの森で自分の暮らしをつくっていこうと思うようになりました。
でも、いつの間にか整えられていたのは、自分自身の感覚や心の方だったのかもしれません。
自然とつながるって、何かを得るというより、何かを取り戻すことなのかもしれない。
「焦らず、比べず、競わず。ただ、いまこの時間を味わう」森にいると、それだけで充分な気持ちになります。
そんな森時間の体験もできます。

人生をセルフビルドしよう

今も僕たちは、森を拠点に働きながら、少しずつ暮らしを育てています。
木々のざわめきに耳を澄まし、土の匂いを感じ、小さな季節の変化に目をこらす。
それは、決して派手な暮らしではないけれど、確かに「自分の人生を自分の手でつくっている」実感がある暮らしです。
もし、今あなたがどこかで息苦しさを感じていたら・・・。きっと森の静けさの中にヒントが見つかるかもしれません。
森はいつでも、静かに待っていてくれますよ。
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